明治時代のワクチン接種 天然痘の感染予防に効果ありとする証拠がないばかりか逆効果であった可能性も…

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この記事は、弊社公式サイト内の「新型コロナ論 第8部 コロナワクチン接種義務とワクチンの歴史」の、分割記事です。前回のブログ記事「天然痘撲滅に種痘が貢献した証拠はない」よりの、続きとなります。

日本での種痘は19世紀の江戸時代後期より始まり、明治時代になって本格化。明治9年に天然痘予防規則が施行され、同42年には法的規定を有しない強制接種制度である種痘法が確立しました。明治時代における天然痘の流行と種痘の様子を詳しく記録したものとして、愛媛県生涯学習センターに、「痘瘡と種痘 明治前期の流行と種痘の法制化」と題した記録が所蔵されています。

「明治九年以来の新生児強制種痘が効果を現し、再三種の普及と相まって患者も激減、とりわけ重症による死者が少なくなった。愛媛県でも大正五年の流行に至るまで一名の発生もなかった。」と、種痘が天然痘の発送予防に種痘が効果的であったと、この記録は締めくくられています。

種痘に天然痘感染予防に効果がないという前提でこの記録を読んだ場合は、種痘が逆に天然痘の感染拡大を引き起こしたと読めてしまうのも事実です。というのも、下記の明治後期の天然痘の流行に関しての箇所には、下記のようなとても不可解なことも記載されています。

「明治三七年当初ウラジオストックに痘瘡が流行し朝鮮にも流行の兆しありとして、県は一月二九日付訓令で種痘施行を指示、一一月五日にも農繁期のためとかく怠りがちな秋季種痘を勧めた。しかし翌三八年一月一日越智郡亀山村で児童一名が罹患して九日死亡したのを最初に各地に患者が発生したので・・・」

越智郡亀山村とは現在の今治市ですが、芸予諸島の最南端の島であり、今治港の北北東に位置します。他の多くの芸予諸島と同じく、この島もかつての村上水軍の拠点でした。航行する船舶から通行料を徴収し、引き換えに船の警護をしていました。

通行料徴収に乗り込んだ水軍兵が船内で感染し、天然痘ウイルスを家庭に持ち帰って幼子に感染させたのではといった推測が成り立ちそうですが、通行料徴収はとっくの昔(豊臣時代)に発布された「海賊停止令」により廃止されています。また明治時代に外国航路で活躍していたのは蒸気船であり、わざわざ大島に立ち寄る必要もありません。本土から切り離された僻地ともいえる越智郡亀山村への天然痘の伝播は、非常に不可解なわけです。

なおその後に記述されている「被接種者には接種後部位を保護するよう注意すること」とは、接種部位から他の人への感染を防ぐためであり、現在でも生ワクチンを接種する場合の常識です。すなわち生ワクチンとは、感染症発症の危険性も、潜んでいるわけです。

もちろん種痘が天然痘流行の原因であったという証拠などはありません。しかし「種痘は天然痘感染防止効果がある」といった固定概念を捨て去った上でこの記録をみられた読者様は、どのようにお感じでしょうか! ( 続きの記事 へ)


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